―その永遠性を探って―
思えば千鶴子の人生は光と影の連続であったかも知れない。名もなき市井の俳人であった玉崎千鶴子が1997年この世を去って2020年には生誕100年を迎えます。
海鳴りの聞こえる淡路島で生まれ育ちました。青春時代の千鶴子は貧しいながらも向学心に燃えた女学生でありました。しかし貧乏ゆえに女学校を辞めざるを得なかったのです。その時から始まった人生初期の悲しみから結婚してすぐには子の死別、38歳で夫との永遠の別れを経験、晩年は癌による病魔に冒されました。
悲嘆という病は得ましたが、千鶴子は52歳から俳句に情熱を燃やし続け癒される世界を喪の仕事として命を懸けてきたようです。しかし回避されない悲しみが毎月『周期性嘔吐突発症』として襲い苦しむ日々が続きました。
千鶴子はもはや日常生活に意味を見い出せなくなった時、遠くに眼をやり、遥かなるものの中に自分を投影して永遠性を探って行ったと思われます。そして早くから「死」を学習していたことが千鶴子の遺句集を編集していて初めて解ったのでした。
「死は無ではない、死とはこの世に別れを告げてあの世である四次元世界に新たに生れること」と考えていたようです。創造の力はすごい、身体は病にかかっても魂は癒される世界があることを実証してくれました。
辞世句 夫います四次元座標月明かり
釈迦牟の手の上にいて春の夢
令和元年即位の年に俳句ギャラリー「海鳴り」は開館しました。玉崎千鶴子の俳句に感銘を受けた詩縁のある方々に随想や墨書絵画などで故人を偲んでいただきました。千鶴子の心象風景を味わっていただければ幸いです。
俳句ギャラリー「海鳴り」代表 藤木宏照